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品井沼はどこだ [調べ物]

いつも見る太白山ってのが仙台市太白区にはあるんだが、 生出(おいで)地区の生出が森と呼ばれていた。 
 
太白山 地図.jpg

太白山.jpg

 伊達藩時代青葉城から見て丁度宵の明星が落ちる方向に合った山なので、(中国の漢詩から)太白山となった。 その太白山の伝説で、太白山が出来たときに丁度品井沼が陥没して沼になった・・・という伝説もある。 その品井沼って何処だ? と色々調べてみた。

JR品井沼駅というのは前から知っていたのだが、東北本線の松島から下って2つ目の駅だ。 その辺を探しても一向に品井沼など見つからない。 もう無いのだ。 全く無いのだ。 調べてみると宮城県で一番大きな沼であったそうなのだ。 米作の大規模な生産のために干拓をして全部田んぼにしたのだ。(最近はじゃがいも)
 江戸時代に入って、仙台藩は米を江戸に輸出するためあっちこっち新田開発をして米の生産を大きくした。 
この品井沼干拓事業が始まったのが1655年。 (それと北上川を仙台湾へ流す事業とか、仙台湾一円に内堀(貞山堀)を作る事業とかもやってるからね・・・)
これは国交省の推定図をちら見して書いたのだが、
品井沼1.jpg
特に大雨とか降ったら大きくなっただろう。 で、これを八郎潟のように田に代えたのだ。
先ず 吉田川からどんどん沼の水を出していく。 もちろんこれには限界があるので、まだ沼は残っていた。

次に元禄6年(1633年) 品井沼の水を松島丘陵にトンネルを掘って松島湾に流す大事業を開始。
品井沼2.jpg
元禄潜穴の入り口側。
元禄潜穴入り口-1.jpg
もちろん江戸時代、明治時代とこの元禄潜穴のメンテナンスにかなりの人と金は使っている。
元禄潜穴は江戸時代でかなり老朽化して使い物にならないということで、次に明治43年(1910年)に明治潜穴を作る。
明治潜穴 入り口側
明治潜穴入口.jpg
出口側
明治潜穴出口.jpg

しかしこれでもまだ水害はひどくて、台風のたびに相当な被害を受けていて、更なる改善で、
吉田川は独立させ、品井沼の鶴田川を吉田川の下にトンネルを掘って通す。 吉田サイフォンを作った。
1935年~   完全完了は昭和52年。
品井沼3.jpg

吉田サイフォン上流側
吉田川サイフォン入り口-1.jpg
吉田サイフォン 下流側
吉田川サイフォン出口.jpg

なが~いなが~いプロジェクトなのであったのだ。 とはいえこれ以降も台風とかの被害は受けているので、そのほかにも対策を施している。


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